木蓮の涙

自分の性格を一言で表せる人というのはまずいないだろう

 

とてもとても複雑なものだと思う

 

一人一人生まれた環境が違う

 

出会う人間

出会うタイミング

出会う場所

出会ったときの立場

 

複雑な人間関係が関わった人間の性格をつくる

 

産まれた直後の赤ちゃんですら、泣くタイミングや欲しがるものが違うのだから、育ってきた環境はその人間の性格を型作る大きな要素であることは間違いないだろう

 

意識しない時にくることもあるが、一人の人間の性格に大きな影響を与える出会い、イベントはふとやってくる

 

 

ボクには学生の頃から付き合ってる兄弟とも思う大事な友達がいる

 

彼はプレイボーイで常に周りに人が寄ってくる

何をしても要領がよく、何をしても格好良いのだ

 

学生時代はいつも一緒にいた

そんな長い時間を過ごす中で彼から影響を受けた小さなエピソードだがボクにとっては大事なことがある

 

彼には妹がいた 

可愛らしく人懐っこい、お兄ちゃんのことが大好きな子だが、幼少からてんかんをもっていた

てんかんをもつことによって学生時代から不便なことがたくさんあったという

そのことについて彼はボクに話をしながら涙を流した

 

ボクは戸惑い、しばらくどう声をかけていいかわからなかった

 

ボクはそれまで同世代の友達が涙を流すところを見たことがなかった

 

優しい涙だと思った

 

家族のこととはいえ、人のために流す涙はこんなにも美しいんだと思った

 

ボクの父は亡くなった祖父のことを思い出す度に泣いていた

当時のボクは父の感情の高ぶりを理解することは出来なかった

 

時が経ちボクも父が亡くなり

大事な人のことを想うと

自然と涙が出てくる

 

木蓮のつぼみが

開くのを見るたびに

あふれだす涙は

夢のあとさきに

 

あなたが来たがってた

この丘ひとりきり

さよならと言いかけて

何度も振り返る

 

歳を重ねるごとに涙もろくなっていると感じる

 

大切な人のために流す涙

感動する涙

 

そんな涙は美しいと思う

 

彼のような優しい涙を流せる人間にボクもなりたい

 

 

四門出遊

東に老いるものあり

南に病むものあり

西に死ぬものあり

北に修行者あり

 

我々は老いること、病むこと、死ぬことからは避けられない

生きることの意味、本当の幸せ、死をどう受け入れるか

 

みなそれぞれに考え、答えを探している

 

民族紛争、宗教対立、迫害、差別、環境問題はそう言った答えの違いから生じているとボクは思う

 

イスラエルパレスチナで起きた戦争

民間人が多く巻き込まれ、毎日痛ましいニュースが流れる

目を覆いたくなるような惨状に言葉も出ない

一刻も早い終戦を願うばかりだ

 

正しいことはなんだろう

間違ったことはなんだろう

正しさのために

間違ったことのために

人を傷つけていいのだろうか

 

現代の平和な日本で幸いにも生まれたボクには想像もつかない価値観、理念があるのだと思うが

 

人を傷付けない、それぞれに合った答えはきっとあるはずだ

 

それを自分で探し

誰かの答えを探し

分け与える

贈る

 

この世の中は綺麗事だけでは解決しないことだらけだが

我々は知る努力をしなければ、分け与える努力をしなければ平和を享受することはできないのだと思う

 

『白か黒で答えろ』という

難題を突きつけられ

ぶち当たった壁の前で

僕らはまた迷っている

迷っているけど

白と黒のその間に

無限の色が広がっている

君に似合う色探して

やさしい名前をつけたなら

ほら一番きれいな色

今君に贈るよ

 

愛するということ

誰かを愛すること 

何かを愛すること 

自分を愛すること

 

愛には様々な形 匂い 時間がある。

 

大切にしたいという気持ち

壊したいという気持ち

箱にしまって置きたいという気持ち

 

心の中に溢れてる時もあれば

迷子のように隠れてしまうこともあれば

年に一回しか顔を出さない時もある。

 

しかし、必ずそこにある。

 

人は愛なくして生きられない。

愛は心をつくる。

 

愛さなければ 愛されなければ 

人は成長していけない。

 

『愛ゆえに人は苦しまなければならぬ 愛ゆえに人は哀しまなければならぬ』

 

苦しみ 哀しみ もがく

そしてそれを受け入れる。

 

愛は痛みを伴う

愛=痛み

 

愛は心を育むと同時に蝕む

それは呪いのように

 

しかし愛がなければ人は人の様相をなさない。

 

我々が愛と向き合うには相当な覚悟がいる

 

愛したい 愛されたい

とは

呪いたい 呪われたい

である。

 

覚悟がいる。

 

しかし、それがなければ人としては生きていけない。

 

我々は愛と真摯に向き合わなければならない。

命を賭けて

そうでなければ愛する 愛されるべきではない。

 

『哀しみや苦しみだけではない お前もぬくもりを覚えてるはずだ』

 

愛は痛みだけではない。ぬくもりや優しさでもある。

愛=ぬくもり、優しさ、温かさ

 

愛があるからこそぬくもりを与えることができる

愛があるからこそ優しさや温かさを生むことができる

愛があるから人を生かすことができる

 

我々は愛と離れることはできない。

 

 

 

だからこそ 今、ボクは

 

 

大切なものを愛していこうと思う。

誇り高き生きもの

一年に一度の競馬の祭典、第90回日本ダービーが先日行われた。

現役最強の3歳馬を決めるレースともあって、名馬、名騎手、名厩舎が揃っていた。

文字通り最高峰の戦いが繰り広げられ、競走馬自身ももちろんだが、メディアや情報紙だけでは載せきれない関係者それぞれの戦いがあったのではないかと思う。

 

このレースの中で2番人気をほこっていたスキルヴィングが2400m芝コースを走り切った直後、急性心不全で倒れ込み、その場で亡くなった。

最期の最期まで命懸けで走り切った名馬のけなげな命に心から哀悼の意を捧げたいと思う。

 

馬は誇り高き生きもの。勝っても負けても己の力の限り走る、遠くへ。それが己の役目としっているから。我らもそうでありたい。誇り高く

 

2021年の大河ドラマ麒麟がくる」の中で長谷川博己さん演じる明智光秀のセリフを思い出した。

 

我々人間と馬との歴史は長い。

騎馬隊、騎兵隊といった人馬一体化した戦いは古来からあり、人間が命懸けで戦うのと同様に馬も命懸けで戦っていた。

現代においても人間と馬は全力でレースを走っている。

 

戦いには勝敗がある。

敗者は失うものがあり、己の無力さが湧き上がる。

時に二度と立ち上がれない者もいる。

しかし、己の役目を全うするものにとって勝敗など関係ない。

そこには誇りがあるだけだ。

 

我々は勝ち負けにこだわり過ぎてるのではないだろうか。

勝ち組、負け組と位置付け、本来もつ役目を忘れていっている。

 

生きる意味、生かされている意味をもう一度考えていきたい。

それを見つけられた時、我々も誇り高く生きられるのかもしれない。

 

ボクは散っていったサラブレッドの命にそう感じる。

 

 

 

アカツキの詩

東日本大震災原発事故、コロナと我々に降り掛かる天災、病災、人災の影響は夜の帳を下ろすかのように人の人生に闇を起こすことがある。

闇というものは人によって深さも長さも違うものであるが、突然目の前が真っ暗になったものからすれば、それは底の見えない、永遠と思われるものである。

人は見えていたつもりのものが見えなくなると途端に不安になり、心が支配され、寝れなくなる。

吐き気が起こり、思考が鈍る。

そうなってしまうと本来やりたかったことができなくなり、やってはいけないことをやってしまう。

 

我々の活きる時間は永遠ではない。

時間の一瞬一瞬はたとえ1秒であろうと2度と戻れないかけがえのないものである。

 

諸行無常という仏教用語がある。

何事も移ろいの中にあり、その一瞬ごとに形を変えてくものであるという意味を持っている。

我々もその移ろいゆくものの一つであり、決して例外などない。

 

深い深い闇にいると思う人たちに伝えたい。

夜が明ける暁という時間の手前が一番暗いと言われてる。

一筋の光明が射すその時まで生きることを諦めてはいけない。

生きて生き抜いて、心臓の鼓動が続く限り我々が生きてなす使命を果たさなければいけない。

 

ボクも生きる。

 

応援の詩、祈りの詩を書きたいと思いブログ始めました。